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古代日本―邪馬台国から飛鳥京まで古代日本の姿を3DCGで再現
つー本を購入。
CGで再現されると、面白いかも。
新宿の都心に「ヤマタノオロチ」があわられたら、どんな感じ?という合成は、
なかなかに3DCGで表現されるとおもろいですわ。
この調子で平安時代もやってくらはいな(笑)
関係ないけど、果たして、日本史ではどこまでが古代か
というのが疑問にあったわけですが、
私的には飛鳥、奈良あたりまでが古代と呼ばれるのでは?
というイメージなのだけど、この本によると、
一応、平安時代末期、鎌倉幕府が登場するあたり前までは、
古代になるらしいですわよ。
武士の世の中になってからが、中世というわけですね。
まあ、確かに出土する平安時代のものって「土器?」と
表現した方がよいというぐらい古びた感じはするけれどサ。
あ。そうそう。
今日やっと除籍謄本も届きました。
除籍謄本とは、死亡や結婚で除籍された方々の謄本ですわね。
除籍されてから、役所に80年間は残ります。
いつかやろうと思って、はや十何年…やっと取り寄せました。
なぜ?といわれれば、単に先祖とか家系図に興味があるからw
それだけなんですけど…^^;
母方、父方、両方やって、とりあえず江戸時代に生まれた人までは
遡れましたけど、それ以上は、もうどうかなぁ。
本籍がそこから動いていて、かつ除籍から80年経ってなかったら、
まだ追いかける事も可能ですが、明治以前の戸籍なんて
しっかり管理されているものでもないし…
なんせ、残るのは80年だけだからぁ^^;
これ以上はやらないつもり。
どのみち、母方の祖父と祖母は養子なので、調べても直系じゃないのです。
でも、小さい村のことだから、養子縁組なんていうのは当たり前で、
どの家も血の繋がりはあるような村だけど。
母も父も、生まれたところは二人とも愛媛の田舎。
一方は海で一方は山の中w
うちの母親の本籍地は住所に「甲」がついていて、
父親んとこは「丙」なのですよ。
これって、場所にも身分差というか差別化があったってことでしょうかね。
「うちは甲だったの」
と、母が父に、少し自慢げに言っておりました(笑)
でもま、どちらも所詮は村で(笑)、
みんな苗字が似たり寄ったりで区別がつかないんで、
屋号のようなもので呼んでいたらしいです。
現に、今回取り寄せた謄本にあった市長の苗字も、私の旧姓でしたw
母方の祖母なんて、生まれた家も、養子先も、
果ては結婚後も苗字は変わらなかったしなー。
なんて狭い世界でしょうかw
まぁ、そういう部落だったのでせう。
父方の祖父は、十年ほど前、90歳で亡くなったのだけど、
この人が、信心深かったらしく、お寺さんでもらう過去帳に、
ちゃんと戒名とか、死亡年月日を書き残してくれているんです。
(過去帳というのは、お寺でもらう朱印帳のような作りに似ている…かな?)
没年月日は、すべて和暦で書かれているんですが、
それによると、いちばん古いのは1780年に亡くなった女の人だと判明。
でも、もちろん戒名だけで、名前はわかんない。
どういう血縁かも不明。
わかる範囲では書いてくれているけど、祖父にもさすがに
1780年の人なんて、わかんなかったんでしょう。
あと、逆に祖父自身には分かるので戒名しか書かなかった、とかもあって。。。(笑)
私には分からんし、父親も?なのよね。
第一、父は、昭和5年に亡くなった姉がいたことも知らなかった模様。
どのみち、それ以上は、郷土史料とかに名の残っている人でないと、
先祖を探すのは無理かもしれない。
それに、両親が生まれ育った村は、、うちの母方、父方の苗字の他には、
村上、藤原、蘇我なんてーのばっかり。
調べなくても、行き着く祖先に想像がついてしまう。
父方は、どのみち、私の父親の代で終わり。
(ま、従兄弟とかいるけどさ、一応、長男の長男…という意味では、父で終わり)
だからってわけでもないけど、私が分かる範囲で家系図を作成して、
この家を終わらせるのもいいんでないかなーと、
まぁ、かように思っとります(笑)
(でもね、歴史の背景とあわせてみたりすると、先祖が
こんな時代に生きていたんだーって、想像出来て面白いですよーw)
これについては、後日書きたいと思います。
さて。
明日はまた滋賀の石山寺に行ってきます。
今度は、ツアーではなく、個人でね。
あと、ついでに琵琶湖もちゃんと見たい。
この間行ったのは、夜間だったからねえ。
ちゃんと周りの風景は堪能出来なかったし。