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ここ数ヶ月ずっと、図書館から借りてきた本のPDF化とか
たまりまくっているビデオのDVD化に追われてる。
香港映画もジャニーズビデオも、録画時から時が経過し過ぎて、
結構もうビデオが劣化していて…。
手持ちで一番古いのは、小学生の時に録画したものだからして^^;
昔はビデオデッキとPCを繋げて編集したけど、
PCの性能も悪かったし、出始めたDVDレコーダーは25万もして。
裏のお仕事も、長年いたところをやめて、フラフラしていた頃だったから
25万はとても手が出なかったのね。
今はもうレコーダーも随分安くなったから、
数年前に購入したけれど、レコーダーを買ってからも、
膨大なビデオテープを前に呆然としてしまって。
数年間、ビデオ整理になかなか手をつけられず・・・。
(だって…たぶんビデオ1000本近くある…)
でも、いい加減にやらなきゃと思って。
まず香港映画のDVD化をしていたのだけど、
いよいよ、ジャニーズのビデオ整理に移り…
編集途中で「8時だJ」を、ホントに久しぶりに見た。
裕貴さんがJr引退して以来、なかなかビデオを冷静に見れなかったんだけど、
さすがにもう、先月で引退から7年が経ったので、
悲しいというより、懐かしくなってね~。
「8時だJ」のオヤジ組ダンサーズの中で、
中央最前列で「Can do! Can go!」を踊る裕貴さん見て、
あーやっぱ、裕貴さんのダンスはいいよなぁと思ったり。
ちょっと検索をかけてみたら、やはり、あまりヒットしなかった…。
見つけた裕貴さんの動画はこれぐらいだった。
(肝心のダンスやってないけどw)
J家とかの動画もあったけど、あれはドラマで歌じゃないしな~。
引退からもう7年だし、アナログ時代だったからな~。
動画少ないのはしょうがない;;
あ。
当然、中央白いスーツが裕貴さんw
もうきっと、この先ジャニファンをやることはないと思うけど、
(やるとしても、斗真単体のFanだろうw)
斗真もニノも大好きだったなぁ…当時は可愛くてサ。
(そりゃ小中学生だったからなw)
裕貴さんがやめて、もうジャニーズからは遠のいていたんだけど、
でもね、心残りは斗真だったのね。
ニノはもうデビューしてたから心配してなかったんだけど。
で。
裕貴さん引退一年後ぐらいに、ひさしぶりにコンに誘われて行ったらさ、
あの斗真が、こんなの歌ってたわけ。
ちょっと見ない間に成長してて、驚いて。
「斗真がデビューするまではもうちょっと見守るか…」
と思ったもんよw
私が知ってた頃のJrってさ、ソロを歌えるのは、
滝や翼、裕貴さんとか…ごく一部の子だけの特権(?)
のようなところがあって。
当時、斗真は、MAINとかヤマピーとかBIGの子たちと、
COCOROとかネコネコロケットとかさ、あと私が好きだった、
↑こーーんなの歌ってた頃で…(笑)
…余談なんだけど、コンでソロ歌った後に、MJとかの番組内で
改めてコンで歌った曲をやるのが恒例になってて。
で。
この時↑斗真のソロの部分で、肝心の斗真が画面に映ってなくて
地団駄踏んだの思い出した・・・w
あとね。
↑こーんなこともやってたお子ちゃまだった。
Jrの中の同じ年頃の中では、ハキハキしゃべれて、
TV慣れしてる子だったから司会もよくやってた。
そのわりに、ドンくさかったりして、イジメられ役で
(TV的にはおいしいトコどりか)
なーんか損な役割っぽくて。
斗真は、私にとっては、こーんな弟がいたら、頭グリグリして
可愛がっちゃる~って子だったのヨ(笑)
・・・実際の斗真は、弟がいるお兄ちゃんなんだけど(^^;
そーゆー子が、
「愛と勇気の~正しいヒーロー♪」
なーんて、かわゆ~く歌ってたのに
久しぶりにコンで生の斗真を見たらばさ、
「欲望は~拒まれて~荒れ狂う熱を持つ~♪」
な~んて歌っちゃてたもんだから…ちょっと心が傾いたのねw
Jrとは年齢差のある私にとって、Jrのファンをやってた醍醐味って
こーゆー成長を見れることにあったからねぇ…。
Jrは擬似恋愛って対象でもなかったし。
(だって私は、中居くんとかキムタクと同い年 藁)
でもね、心は傾いたものの、その頃はもうJrも知らない子ばかりになってて、
正直、その時のJr達には愛着なかったから、
また、ジャニーズから自然と遠のいちゃったけど。
斗真は、今は、舞台俳優が主な活動みたいで。
(…つくづく、私が応援する子はグループデビューに縁がないなぁ)
先日、久しぶりにテレビで見た斗真は、
心が傾いた頃の、私の知ってる斗真じゃなかったわ~…^^;;;
成長しすぎ~~。
声もちーがーうー。
…でも、ちょっと舞台みたいかもな~(笑)
あーやばやば。
またファンに戻ったら金使っちゃうよ~…。
(だっから、整理を後回しにしてたところもあったのだ 笑)
先週、金曜日。
またしても、旦那、入院である。
以前にもあった、めまいと吐き気で動けなくなるパターン。
寝てる最中に、旦那の勤め先のビルの内科から呼び出されたのだけど、
こういう時に、会社と自宅が近いと楽である。
ビル内の病院では、めまいが治まらないということで、
そのまま、近くの病院まで付き添い、入院手続きの手配をする。
んでね、今回ね、
・・・結婚しているっていうのは、こういうことなのだなぁと思った。
以前、うちに遊びに来ていた時も倒れて、私が救急車を呼んだのだけど、
救急車の中でも、窓口でもお医者さんにも看護婦さんにも
「どういうご関係ですか?」
って聞かれたのだけど、はっきりいって、何の関係もないのである。
「あ…一応、婚約者です」
とは言ったけど、
「そうですか。御友人ですね」
と言われたしね…^^;
入院の手続きにしても、私の続柄は「他人」なので、お義父さんの名前や住所を書く。
記憶していたので書けたけど、印鑑は、私では押せない。
旦那の自宅の留守電にも連絡を入れ、
お義父さんの携帯に連絡もして呼び出し、旦那の会社にも
「私、○○さんの知り合いなんですが…入院しましたので、会社休みます」
って連絡を入れたのだが…
いちいち、どんな関係か説明に窮する。
つくづく、私って他人なのだなぁ・・・とその時、思った。
両家の顔合わせが終わっていたのだけが、幸いだったけどネ。
今回の入院は、
「奥さんですか?」
と聞かれて、
「そうです」
と答えれば、万事、私一人で済むので助かった。
ちなみに。
今だから書くが。
以前の入院で、お義父さんが病院へ来た時、
開口一番、いろんな手続きをした私への労いではなく、
「そっちの家、寒いんだろう」
と、私に言った一言は、今でも覚えている(苦笑)
旦那は、子供の頃から風邪をひきやすいらしく、部屋をガンガンに暖かくして、
風邪引かないように過保護にされていたみたいなのだが、
私に言わせれば
「だっから、いまだに弱いんだっよ!」である。
鳥を例を出して恐縮だけども、小さい頃からヒーターで暖かくして
過保護に育てた鳥は、やはり、弱いのである。
その時の私は、
「それじゃまるで、私のせいみたい・・・。
いい年齢の大人が体調を崩すのは、本人の責任でしょっ。
…週末だけ会う私のせいにされてもねえ。普段生活してるのは実家じゃないか。
第一、私は無理やり家に遊びに来させてるわけじゃないし!」
…と、本音はこう思ったものである(笑)
それに、旦那が倒れたのは「寒いから風邪ひいた」ではなかったしね。
今回の入院が疲労と肩こりならば、この時の要因もそうだったんだろうし。
旦那も、父親や母親の言うことに、あまり異を唱えるということをしない人なので、
その時も、「いや、それは・・・」とはチラッと言ったが、
私を庇うようなことは言わなかった。
まぁね?
お義父さんは、はっきり物を言う人でもあるし、その後、
病院からお義父さんと二人で帰った後、ご飯もおごってもらってるし…。
悪気はないのはね、分かっているのよ。
でもね、「俺はなっ」って肩で風切って「どーーーん!」と
胸を張って振舞ってる人なので、嫁としてはヘタに意見が言えず、
「はぁ。はぁ」と、いつも話を聞き流すのみなの。
両親揃って、ちょとこう…性格が「・・・・」な人たちだとさ、
こう…苦手意識とかさ、やっぱり芽生えてくるものなのね^^;
しょうがないじゃん、
私ってばそんな人間できてないもの。
…旦那の両親でさえなかったら、嫌われたってかまわん!
って感じで反論出来るけど、そういうわけにもいかんでしょ(笑)
うちの母親も
「あのご両親は…うん…まぁねえ…」
とまぁ、私の気持ちは分からないでもない・・・
みたいな本音は漏らしたことがある(笑)
私がいまだに旦那の実家や親族を苦手としているのは、
些細なことかもしれないけれど、そういう、私にとっては、
心を突き刺すような一言が積み重なってるというか。。。
そういえば、旦那の親族が、またも個人的に会おうと言ってきている。
この間の、保証人の親族とは別口である。
この間の保証人の件で、ちょっと待てっって感じだった対面だったので、
また親族に会うのは、ちょっと気が重い。
こんな何度も個人的に、いろんな親族に合わなきゃならんのなら、
なんで結婚式に呼ばなかったのよ~~!!!
実際のところ、言い出したら愚痴ばかりになるので、
あまり、親族のことは書いてこなかったんだけど。
書き出すと止まらないねえ…入院話から脱線してるよw
(私のうちは、親族が一箇所に固まって住んでいるので、
気が重いのは旦那も一緒かもな~~)
旦那の入院話がどっかへ行っちゃったけど(笑)、
とりあえず、退院したので一安心。
でも、問題は、肉体のアフターフォロー。
今回の血液検査で、血液が脂っこいみたいで、
数値がやや高いと言われたらしい。
やっぱりねえ。
でも私と同じ物食べてるのになあ。
残飯処理係りになってるから?
なんとかせねば。
具合悪し。
治りかけてた体調も、三日連続in京都でまた体調崩し。。。
つか、最後の時代祭でぶり返したような気が。
風邪は治ったんだけどね、ずっと頭痛が続いてます…。
んで、時代祭。
必ずしも有料席がいいわけではないのだな~と思いましたヨ。
初めて行くので、有料席が無難だろうと思って、今回はそうしたんだけど。
確かに、有料席は楽だけどさ、
一番前の席じゃないと写真を撮るのはダメだねえ。。。
他の人の頭ばっかり撮ってきたよ^^;
立って撮る人もいたけど、そんな度胸ない。
結局、隅から隅まで撮れた(&見れた)のは、最後の行列が御所を出発し終わった後。
自分も御所から撤退途中の交差点で撮った、この一枚だけw
信号待ちらしいです(笑)
むー。
しかしまぁ、一応、見た ってことで(笑)
今回から、室町時代の行列が加わったのね。
足利尊氏は「逆賊」と見なされて、これまで時代祭から除外されてきたらしい。
新しい行列が加わるのは41年ぶり。
一億円かかってるらしいですよ・・・
確かに、衣裳がキンピカだったっすよ~。
下の写真は、時代祭前日に見に行った「斎宮行列」。
見やすさでは、こっちだね。
つか、時代祭に比べて、周囲から聞こえてくる会話が
とっても平安時代マニアっぽくて、よいw
斎宮行列は、竹林の中を通るときが一番キレイだと思う。
うーん。
電柱と見物人さえ写ってなきゃねえ…いい感じなのに。
ところで、いつも思うのだけど。
こういう行列でメガネをかけている人は結構いるのですね、
男の人によくいる。
雅楽でも、似合わないと指摘されることがあるみたいだけど。
確かにね。
仕方ないかもしんないけど、ちょっと興をそがれる。
あとね、さすがに御禊の時にはいなかったけど、
斎宮行列には子供もいるのよ。
その子供たちの横に、ピッタリくっついている現代服姿の
親御さんたちにも、ちと興ざめ^^;;
しゃーないんだけどさっ。
でも、時代祭にも子供いたけど、親はひっついていなかったよw
今年の斎宮代さま↓
※斎宮とは何ぞや?
簡単に言えば、天皇の代行として賀茂神社、伊勢神宮へ赴く巫女さん。
斎宮は、ト定により未婚の内親王から選ばれます。
選ばれた後、潔斎に入り、野宮神社から伊勢へ向けて出発するのを
再現したのが、この斎宮行列。
分かっている限りで、約660年間ほど行われていました。
午後10時過ぎ。
突然、うちの玄関のドアをガチャガチャあける音が響いた。
旦那は、今日と明日は出張で家にいない。
突然ドアを開ける人間なんて、他に誰もいない。
ここは賃貸だし、鍵も以前のと交換したわけではないので、
万が一、と思って、慌ててチェーンをかけて内側からドアノブを引っ張って、
しばらく踏ん張った。
敵もなかなか諦めずに、鍵をガチャガチャ、ドアノブを引っ張る、
を繰り返してたけど…。
一回だけ「どなたですか!?」って怒鳴ったけど、うちはでかい道路沿いなので、
とても車の音がうるさい。
なので、私の声は外に聞こえなかったと思うが。。。
まー、女の声がするのも、万が一があるとよくないだろうと思って、
あとはもう、無言でドアノブを内側から引っ張ってたけども。
いつも、チャイムや玄関の開閉音で大声で鳴きわめく、さもとゆうちも、
こーゆー時に限って、ちっとも鳴きゃしない。
役に立たんやつらめ!
外から、うめき声がしたような気がした。
たぶん、酔っ払いかなんかが、うちを間違えたんだと思う。
これだけ私が内側で引っ張ってるんだから、鍵が合わないどころか、
ドアノブ自体も、ちっとも回らないわけでしょ。
それでも、ずーーっと鍵を入れて回して引っ張り続けてるのって…
素面じゃなかったから…と思いたい。
うーん・・・おなかが空いたから、コンビニへ行こうと思っていた矢先だったんだけど
原因が分からんと、なんだか、ちと怖くて出れんじゃないか。
一人暮らしの頃は、仕事で夜中に帰ってくるし、繁華街の街だったから、
結構、怖い目には会いました。
仕事柄、ストーカーにもあいました…。
そういえば、下着泥棒にもあった…。
実家の方でも、よく酔っ払いが間違えて、うちのドアをドンドン叩いてた事がw
(その酔っ払いは、クラスメートのお父さんで、そのお母さんに、私は当時、そろばんを習っていたw)
しっかしまぁ、そういう場数は踏んでいても、やっぱし怖いし、何より気持ち悪い。
朝になったら、ドアの前に誰か寝てたり死んでたりしたら…イヤだわぁ~^^;
まったくもって、慰謝料っつーか迷惑料っつーか…頂きたいわよ。
古代日本―邪馬台国から飛鳥京まで古代日本の姿を3DCGで再現
つー本を購入。
CGで再現されると、面白いかも。
新宿の都心に「ヤマタノオロチ」があわられたら、どんな感じ?という合成は、
なかなかに3DCGで表現されるとおもろいですわ。
この調子で平安時代もやってくらはいな(笑)
関係ないけど、果たして、日本史ではどこまでが古代か
というのが疑問にあったわけですが、
私的には飛鳥、奈良あたりまでが古代と呼ばれるのでは?
というイメージなのだけど、この本によると、
一応、平安時代末期、鎌倉幕府が登場するあたり前までは、
古代になるらしいですわよ。
武士の世の中になってからが、中世というわけですね。
まあ、確かに出土する平安時代のものって「土器?」と
表現した方がよいというぐらい古びた感じはするけれどサ。
あ。そうそう。
今日やっと除籍謄本も届きました。
除籍謄本とは、死亡や結婚で除籍された方々の謄本ですわね。
除籍されてから、役所に80年間は残ります。
いつかやろうと思って、はや十何年…やっと取り寄せました。
なぜ?といわれれば、単に先祖とか家系図に興味があるからw
それだけなんですけど…^^;
母方、父方、両方やって、とりあえず江戸時代に生まれた人までは
遡れましたけど、それ以上は、もうどうかなぁ。
本籍がそこから動いていて、かつ除籍から80年経ってなかったら、
まだ追いかける事も可能ですが、明治以前の戸籍なんて
しっかり管理されているものでもないし…
なんせ、残るのは80年だけだからぁ^^;
これ以上はやらないつもり。
どのみち、母方の祖父と祖母は養子なので、調べても直系じゃないのです。
でも、小さい村のことだから、養子縁組なんていうのは当たり前で、
どの家も血の繋がりはあるような村だけど。
母も父も、生まれたところは二人とも愛媛の田舎。
一方は海で一方は山の中w
うちの母親の本籍地は住所に「甲」がついていて、
父親んとこは「丙」なのですよ。
これって、場所にも身分差というか差別化があったってことでしょうかね。
「うちは甲だったの」
と、母が父に、少し自慢げに言っておりました(笑)
でもま、どちらも所詮は村で(笑)、
みんな苗字が似たり寄ったりで区別がつかないんで、
屋号のようなもので呼んでいたらしいです。
現に、今回取り寄せた謄本にあった市長の苗字も、私の旧姓でしたw
母方の祖母なんて、生まれた家も、養子先も、
果ては結婚後も苗字は変わらなかったしなー。
なんて狭い世界でしょうかw
まぁ、そういう部落だったのでせう。
父方の祖父は、十年ほど前、90歳で亡くなったのだけど、
この人が、信心深かったらしく、お寺さんでもらう過去帳に、
ちゃんと戒名とか、死亡年月日を書き残してくれているんです。
(過去帳というのは、お寺でもらう朱印帳のような作りに似ている…かな?)
没年月日は、すべて和暦で書かれているんですが、
それによると、いちばん古いのは1780年に亡くなった女の人だと判明。
でも、もちろん戒名だけで、名前はわかんない。
どういう血縁かも不明。
わかる範囲では書いてくれているけど、祖父にもさすがに
1780年の人なんて、わかんなかったんでしょう。
あと、逆に祖父自身には分かるので戒名しか書かなかった、とかもあって。。。(笑)
私には分からんし、父親も?なのよね。
第一、父は、昭和5年に亡くなった姉がいたことも知らなかった模様。
どのみち、それ以上は、郷土史料とかに名の残っている人でないと、
先祖を探すのは無理かもしれない。
それに、両親が生まれ育った村は、、うちの母方、父方の苗字の他には、
村上、藤原、蘇我なんてーのばっかり。
調べなくても、行き着く祖先に想像がついてしまう。
父方は、どのみち、私の父親の代で終わり。
(ま、従兄弟とかいるけどさ、一応、長男の長男…という意味では、父で終わり)
だからってわけでもないけど、私が分かる範囲で家系図を作成して、
この家を終わらせるのもいいんでないかなーと、
まぁ、かように思っとります(笑)
(でもね、歴史の背景とあわせてみたりすると、先祖が
こんな時代に生きていたんだーって、想像出来て面白いですよーw)
これについては、後日書きたいと思います。
さて。
明日はまた滋賀の石山寺に行ってきます。
今度は、ツアーではなく、個人でね。
あと、ついでに琵琶湖もちゃんと見たい。
この間行ったのは、夜間だったからねえ。
ちゃんと周りの風景は堪能出来なかったし。